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サイ夕マ先生、スーパー銭湯に行く

 便所から戻れば、靴に履き替えたジェノスが出入り口の脇で携帯電話をいじっていた。俺の分まで靴を出しておいてくれたらしい。

「靴、サンキュ。てかもう15時前か、結構長居したなー」
「そうですね……あっ、先生、帰りは電車にしませんか?近くのスーパーのチラシ調べてたのですが、Y市中央公園駅の近くのスーパーで卵Mサイズが98円です」

 言いながらジェノスが差し出した携帯電話を覗き込む。行ったことのない店だが、確かに安い。

「ホントだ、醤油とタマネギも安いじゃん。俺も体がまだポカポカしてて眠いから、電車で帰ってちょっと寝ようと思ってたとこ。んじゃ、このスーパー寄って帰るか」

 靴を履いて外に出ると、外気の冷たさを少し感じる。のんびり歩けば家まで1時間半だが、電車だと僅か20分ほどの距離、電車代も200円程度。二人とも足が速いので走って帰ると早く着くが、今日はもうダラダラしたい気分だったので、ジェノスの案に賛成して駅の方面へと向かって歩く。

「そういえばさ、俺が着けさせて言うのもなんだけど、マスク息苦しくならない?」

 隣を歩くジェノスのマスク姿を見て、ふと気になったことを聞いてみる。

「俺の場合、酸素が必要なのは脳だけなので、そもそも普通の人間ほど酸素を取り込む必要がなく、息苦しさもないですね」
「あぁ、お前寝息も立てないもんな、なるほど」

 自分と同じ間隔での呼吸をしていない寝姿から、あれなら息苦しいということもないよなと納得していると、しかし、とジェノスが困ったように目を細めた。

「鼻の部位の各種センサーの働きを阻害されるのは困りますね。あと、少し、顔周りが鬱陶しい気がします。……人通りがあるところに出るまで、外しておいても良いでしょうか?」

 言うが早いか、マスクを顎にずらしてしまった。顔周りが鬱陶しいという気持ちはよくわかる。

「はは、サイボーグでもマスクは嫌か。俺もなんか苦手。駅近くまで人通り少ないし、良いんじゃね?……あ、そいや俺もフード被るの忘れてたわ」

 変装用マスクから連想して、来るときに被っていたフードのことを忘れていたことに気付き、背中側に手を伸ばして頭に被る。と同じタイミングで、ジェノスの携帯電話が鳴った。聞き耳を立てていると、どうやら出動要請のようだ。

「どこ?」

 通話の雰囲気からこの近くの様子、話し終わるのを待って場所を聞く。他愛もない話から一転し、ジェノスの顔が引き締まる。

「ちょうど俺達が行こうとしている駅の向こう側、災害レベル虎とのことです」
「えっ、もし駅潰されたら電車で帰れねーじゃん、ダッシュで行くぞ」

 目的地までの道のりはわかるため、ジェノスの返事を待たずに走り出す。

「朝と同じ要領でやれば服汚れねぇかなぁ」

 すれ違いざまのパンチを思い出しながら軽く腕を動かしてみる。

「先生っ、次は俺が戦いますっ!」

 併走するジェノスを見ると、真剣な顔をしていた。

「えっ、絶対ダメ」
「っ、なぜですか?!」
「なぜって、だってお前その腕じゃん」
「……確かに火力は普段より落ちますが、戦えますっ!虎相手なら問題ありません!」

 なおも食い下がるジェノスに、どう言ったものかと思案する。火力が弱いとか、そういう話じゃなくて。

「いや、違くて……。その腕、ヘッドマッサージ気持ち良かったし、ああいう感じなら、一緒に餃子作るときにも絶対便利じゃん。変装にも使えるし。だからさ、壊すようなことすんなよっていう……いや違うか、えっと……、んー?」

 壊すこと前提に話をするのも違うなと感じはじめて言いよどむ。少し考えてみたけど適切な表現がわからない。

「まぁ、あれだよ、折角ジェノスってわからないよう変装してるのに、その腕で戦ってバレたらもう使えないしさ。俺もいるんだし、戦闘は先生に任せなさい」

 自分で先生なんていうのは気恥ずかしいが、この言い回しの方が理解されやすいかと思って敢えて言う。が、やっぱり言い慣れないので恥ずかしい。少し速度が落ちて後ろに回ったジェノスが気になって振り返り見ると、何かを言おうと口を開けるものの、言葉が出てこないのか口を閉じ、ということを数度繰り返してただ口をパクパクさせている。その様子が、池の中で餌を求めている魚のようにも見えて。

「ははっ、コイかよ」

 面白くてニヤリと笑うと、一瞬ジェノスが目を丸くする。

「……はいっ、コイです!先生しか見えません!」

 からかったつもりが、満面の笑みを浮かべ、語気強めに返答された。俺しか見えない、の意味がわからない。

「なんだそれ、エサはやんねーぞ?」

 前方には駅、こちら側へと逃げてくる人、その奥に怪人が見える。

「あっ、ジェノス、人多いしちゃんとマスクしとけよな」

 顎にずらされたままのマスクを指摘してから、走る速度をもう一段階上げ、眼前の怪人に向けて右腕を振りかぶった。

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