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サイ夕マ先生、スーパー銭湯に行く

 まだ肌寒さを感じる3月下旬。

 いつものようにキングの家で暇をつぶし、格闘ゲームで完膚無きまでに大敗させられた後。キングがふと何か思い出したように、あ、と呟いて、テーブルに積まれた書類の中から茶封筒を手に取り、そうそうこれこれ、と見せてきた。

「……なんだそれ?」
「スーパー銭湯のチケットを貰ったんだけど、サイタマ氏いらない?2枚あるからジェノス氏とどう?」

 封筒ごと渡され、中から2枚の紙を引き出して確認する。

「スーパー銭湯、英雄温泉……?」
「うん。岩盤浴もあって、漫画も読み放題。飲食店やマッサージもあるんだって。最近あちこちに店ができてて、CMもやってるんだけど、知らない?」

 キングの話を聞きながら、チケットの字面を口に出さず読み上げる。入浴料(大人平日800円、土日祝950円)無料、岩盤浴(大人平日750円、土日祝850円)無料。レンタルタオルセット(通常250円)とミネラルウォーター(通常100円)付き。他には営業時間と有効期限が書いてある。

 言われてみると、確かにテレビCMで見たことがある場所だ。漫画も読み放題とのことで気になっていたものの、そんなところにお金を使う余裕はないために諦め、存在自体を今の今まで忘れていた。二人でおよそ4000円分がタダで行けるのならラッキーだ。……でも。

「えっと……、これ、マジで貰っちゃっていいの?ていうかキングは行かねぇの?有効期限、まだ1年くらいあるけど」

 自分で使わないのか、おずおずと尋ねると、キングが深く頷いた。

「うん、流石に風呂場で変装はできないから大変なことになりそうだし、行かないかな。あと、そもそもこれはサイタマ氏宛というか」
「え、俺宛?」

 脈絡なく自分の名前を出され、どういうことかとキングを窺い見ると、うん、と再び頷きで返された。

「先週さぁ、一緒にゲーセン行った帰りに怪人が出たじゃない?サイタマ氏がいつも通りワンパンしたけど、あれ俺が倒したことになっちゃっていて」
「あぁ……、そうだったっけ?」

 怪人を倒すことは日常茶飯事のため、いつどこで何を倒したかなど逐一覚えていない。首をかしげつつ、先週、ゲーセン、というキーワードから記憶を辿れば、そういうことがあったような気もする。

「偶然その場所が英雄温泉の駐車場で、被害を免れたお礼にって協会に届いたんだよ。だからさ、サイタマ氏が受け取ってよ。誰でも使えるみたいだし」

 変に遠慮している風ではなく、本心から譲ろうとしてくれている様子。そっか、へへ、とつい笑みがこぼれ落ちる。

「……そういうことなら貰うわ。ちょうど読みたい漫画溜まってたんだよなー。サンキュ!」

 持って帰ることを忘れないようにと早速チケットを茶封筒に戻して二つ折りにし、デニムパンツの尻ポケットに突っ込んだ。新しい楽しみができたことと、約4000円分がタダになるというインパクトの大きさに、自然と口元も緩んでしまう。

 その後、キングの今期お勧めのアニメ、女の子が筋トレに励んでいるやつを数話一緒に見て、そこからトレーニングの話になり、まずはスクワットからやれば良いんじゃね、とキングにアドバイスする。スクワットが上手くできないと言われ、手本として目の前でやって見せると、速すぎて意味がわからない凄いと感心された。いや速さで言ったら格ゲーしているときのキングの指の動きの方が意味わからねーから、なんて笑い合って、またアニメ見たりゲームしたりして暇を潰す。

 ふと窓の外が色付いてきたことに気付き、時計を見ると16時過ぎ。そろそろ晩飯の買い物あるし帰るわ、とキングにチケットのお礼とともに別れを告げて、帰り道にいつものスーパー、むなげやに寄る。何作ろうかなぁと考えながら、買い物かごを手に持ち、まずは野菜売り場を目指す。

 いつからこうなったのかはもう忘れたけれど、最近の食生活はその殆どが、栄養バランスや彩りまで考え尽くされたジェノスの手料理ばかり。ジェノスが協会の用事などで昼間いない日は、朝から弁当を作ってくれていたりもする。そんなに気を遣わなくて良いのに、とは言うものの、コンビニ弁当を買うよりも安く済むし美味しいから、正直ありがたい。

 同居開始当初は全くと言っていいほど料理ができず、調味料の「少々」や「ひとつまみ」の量から教えたっていうのに、メンテナンスから帰ってくるたびに何故か料理スキルも上がっているのが不思議でならない。一昨日食べた白菜たっぷりの海鮮あんかけ焼きそばなんて、中華料理屋開けるんじゃねーの、と思わず言ったほど美味かったことを、眼下の白菜を見て思い出す。

「……え、高っ!」

 半玉430円、四分の一切りでも220円という驚きの値段を見て、思わず声が出た。咄嗟に周りを見るも、ちょうど人がおらず、ホッと胸をなで下ろす。値札の書き間違えを疑ったが、1玉で売っていないところを見ると半玉の価格で正しいようだ。

 明日は定期メンテナンスで帰りはその次の日の夜、でも晩飯は一緒に食べたいです、と言われて、それならたまには俺が晩飯作ると提案したのが一昨日。自分から言ったからには、それなりに美味いもんを食わせたいが、中華の鉄人、いや料理の鉄人の道を極めんとするジェノスに正攻法では敵う気がしない。好物の白菜を使った料理ならレパートリーも多く自信はあるが、こう高いと諦めざるを得ない。……それにしても。

「はは、あいつ二重の意味で鉄人だよな」

 昔の料理バトル番組風のジェノスが頭の中でイメージされ、鉄人の称号と鉄の体をかけて自分でウケる。と同時に、通りすがりのおばちゃんが「え?」という顔を向けたのと目が合い、変なところを見聞きされた気恥ずかしさから、そそくさと逃げるように移動。別の棚に回り込むと、春野菜フェアのピンクのPOPとともにカラフルな野菜が並んでいるのが目に入った。

(春野菜フェア?お、タケノコ安いじゃん。菜の花に春キャベツ、アスパラガス。もうそういう季節か。ピーマン……は、なんだ、普通の値段じゃねぇか。てかピーマンは関係ねぇだろ、騙されて一緒に買うとこだわ)

 タケノコを手に取りつつ周りの値札を見ている隣で、若いカップルが「青椒肉絲食べたい」と話すのが聞こえ、今夜のメイン料理が決定。

(青椒肉絲は簡単だし美味いもんな。よしっ、今夜はうちも青椒肉絲!)

 炊飯器にもタケノコを突っ込んで炊いて、タケノコご飯と、タケノコと菜の花を使ったスープに、春キャベツのサラダ、という献立を描く。

(タケノコ尽くしだな……ま、いいか)

 スーパーをぐるりと周って他にセール品がないかチェックしつつ、二人分の食材を買い込んで帰宅。ジェノスが19時頃には帰ってくる予定だと一昨日に言っていたのを思い出しながら、エプロンを身に着け、調理を開始した。

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