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サイ夕マ先生、スーパー銭湯に行く

――翌朝――

「せい……先生、サイタマ先生」

 自分を呼ぶ声にゆっくりと意識が浮上していく。

「んん……」
「サイタマ先生、7時ですよ、起きて下さい」

 身体を軽く揺らされているのを感じ、声のする方と逆側に転がって布団の中に潜る。

「あっ、もう、先生、今日は朝からスーパー銭湯に行くんでしょう、ほら起きて下さい!」

 布団を剥がそうとグイグイ引っ張ってくるのを、内側から抑えて抵抗する。

「やだー」
「……っ、か、可愛く言ってもダメです、サイタマ先生は二度寝すると30分は起きないんですから!」

 目覚ましジェノスのしつこさに観念し、顔半分だけを出して目を細く開け、ぼんやりと映るジェノスを見つめる。

「あと10ぷんだけ……ちゃんとおきるから……」
「…………はぁ。わかりました、10分後ですね」

 諦めたような声と、近くにあった気配が遠ざかるのを感じ、布団の心地よさに身を任せて再び眠りに落ちた。

――10分後――

「先生っ、10分経ちましたよ、さぁ起きて下さいっ!」
「ふぁっ?!」

 突如として掛け布団を剥ぎ取られ、と同時にカーテンと窓も開けられて、その勢いと眩しさに頭が一気に覚醒する。

「おはようございます、先生!」
「お、おはよう……。ジェノスくん、朝から先生の扱い酷くない?」

 目を擦り、しぱしぱと瞬きをしてから声の方を向くと、いつものピンクのエプロンの、上部と左右の色が違うことに驚き手が止まる。

「酷くないです。惰眠でスーパー銭湯の滞在時間が短くなると、後悔するのは先生ですので。朝飯はできているので、顔を洗ってきてください」

 機嫌の良さそうな顔で掛け布団を畳んでいるが、その指先まで自分の手と変わりなく、機械であることを微塵も感じさせない。

「それ、昨日の?」
「え?ああ、はい、そうです。先生のお休み中に換装しました。脚も」

 言われて視線を下に落とすと、ジェノスがズボンの裾を少し持ち上げ、白い靴下の上部に肌色が見える。

「おお、すげー!ジェノス、ちょっとこっち来て座って!」
「はい?」

 自分の隣を指差すと、素直にその場所に正座する。膝の上に置かれたジェノスの片手を取り自分の目の高さまで持ち上げて見て、その状態で指先を動かしてもらう。機械とは思えないほど柔らかく、皺を寄せながら動き、何よりも驚いたのは人肌程度に温かいこと。

「すげーな、全然機械に見えない。このちょっと温かいの何、どうなってんの?」

 焼却砲が隠されているはずの手の平も温もりがあり柔らかく、ふにふにしている。両の手で握ってみると、寝起きの自分の手と同じくらいの体温を感じる。

「えっと、その、あの、サイボーグを人体に近付ける研究の一環で、体温が重要だとかで、ヒート機能が搭載されていまして、それで、その、」
「へー。わ、肩はこうなってんのなー」

 エプロンの下、袖無しの服の肩周りを見ると、機械と人工皮膚の境目がハッキリと分かれていた。いつもはパーツで丸く膨らんでいる肩も、今は普通の男の肩とたいして変わらない流線を描く。首の部分はネックウォーマーのような形になっているようで、カバーしきれない顎下や首の根元などは少し黒色が見えており、中途半端さは否めないが、真正面から見る分には殆ど違和感がない。

「あ、の、先生っ、あ、朝飯が冷めてしまいますっ!」

 何故か俺のいる方とは反対を向いて喋るジェノスの様子に、触りすぎて困らせてしまったかとちょっと反省する。

「ああ、わり、つい。……ていうかお前、その腕で袖無しはダメだろ。長袖着ろよ、見てて寒いわ」
「はぁ、しかし、長袖は普段着ないので持っていません」
「ああ、そっか」

 困り顔で返事をするジェノスに、確かに長袖見たことねぇな、と返して立ち上がり、何かちょうど良い物がないかとクローゼットを物色する。付け根に黒い部分が少し見えている首も、しっかり隠れるような服が良さそう。だけどタートルネックの服は持っていない。となると、アレが良いか。

「あの、先生?」
「とりあえずこれでも着てろよ」

 青いジャージの上着を引っ張り出してジェノスに投げて渡す。

「その肩周りなら着れるだろ?襟を立ててジッパー上げたら首も隠れるし。……あれ、ジェノス、どした?ジャージは嫌だったか?」

 返事がないので窺い見ると、両手に掴んだジャージを見下ろして、ふるふると小刻みに震えている。まぁそれ着古してるしジェノスには似合わないか、と代わりを探すのにクローゼットに再び向き直る。

「でもなぁ、他に首が隠れるような服、俺持ってたっけなー」

 そんな時期ではもうないけれど、マフラーでも巻かせようかと奥にしまい込んだ物を探す。

「いえっ、あの、ありがとうございます、こちらをお借りしたいです!!」
「あ、それでいい?」

 ジェノスの返事にもう一度そちらを見ると、青ジャージを両手で握るようにして胸に当てがっているところだった。

「おい、そんな強く握りしめんなよ、破けちゃうだろ」
「え、あ、すみませんっ!」
「……まぁいいや、顔洗ってくる」

 あくびをこぼしながら移動し、洗顔と歯磨きを済ませる。ついでに朝一の排泄も。部屋に戻ると布団は部屋の隅に片付けられており、ピンクのエプロンから青ジャージに着替えたジェノスが米をよそっているところだった。

「なに、わざわざ下も着替えたの?」
「ええ、まあ、はい」

 ジャージに合わせて他も着替えたらしく、ジャージの裾からは中に着ている白い服が重ね着風に少し出されており、ライトブルーのデニムからブラックのデニムにはきかえている。腕まくりをした袖からは、金属ではなく肌色の腕が見える。

(なんか、モデルみたいだな……)

 イケメンはノーブランドのジャージさえも格好良く着こなせるのかと思うとつらい。そして一見普通の好青年であるその姿に、年下の男に世話を焼かれていることを今更ながらに痛感する。

「はぁ……」
「先生?どうかされました?」

 思わず溜息をこぼすと、ジェノスがこちらを向いて、小首を傾げて微笑んだ。その瞬間、朝日に照らされた金髪がキラキラと揺れて。

(っ、う、わ、)

 ドキッとした。いやいやドキッてなんだよジェノスだぞ、と直ぐに頭の中で否定する。世間様からもイケメン認定されている男に、いつもと違う雰囲気で、朝からこんなことされて、ちょっとビックリしただけだ。うん、間違いない。

「サイタマ先生?」
「……ああ、いや、6つも上の男の、身の回りの世話をさせて、何て言うかその、悪いなぁ、と、思って。いつも言ってるけどさ、そんなに気を遣わなくて良いからな。俺だって一通りの家事できるし」

 自分の定位置に座り、ジェノスの手から自分の分の茶碗を受け取って机の上に置く。話しながら、ちら、とジェノスを見ると目が合い、黒い目がくわっと大きく見開かれた。

「そんなっ!迷惑だなんてとんでもない!前から何度もお伝えしていますが、俺が好きでやっていることです!これは俺の趣味です!寧ろこれからもずっとお世話させてくださいっ!!」
「いや、お前でも、ずっとってなぁ……」
「っ、先生!俺がいる限り、炊事、洗濯、掃除など、面倒な家事が無料サービスとして受けれます!仮に俺と同等の仕事をする家政婦を雇った場合、毎月数万はかかるところ、なんと、俺なら、タダです!!しかも同性なので、何の気兼ねもいりません!!」
「お、おう……?」

 確かにジェノスはありとあらゆる家事を率先してやってくれているので、それを家政婦に頼むのならば数万、いや毎日と考えると数十万円とかかるだろう。汚れが気になったときに掃除するタイプの自分とは違い、ジェノスは綺麗を保つ考えのようで、毎日どこかしらかを掃除している。そのおかげて常に綺麗な状態が保たれており、住み心地が随分良くなったという実感はある。この状況を金で買うとなると数十万か、そんな大金など払えっこない。それがタダで受けられるっていうのなら、ありがたいのかもしれない。

(……あれ、でも、家政婦とかどうとか、今そういう話だったっけ。あれ?何の話してたっけ?)

 話の勢いとテンポについていけず首を傾げる。数秒考えた後、お腹も空いたし朝飯冷めるし、まぁどうでもいいか、と思い直すことにして両手をあわせた。

「ま、とりあえず朝飯食おうぜ。いただきます」
「はいっ!いただきます!」

 他愛のない話をしながら食べつつ、ふと今日の天気が気になりテレビを付ける。何度かチャンネルを変えると、天気予報中の番組に当たった。予報によるとY市もZ市も今日はずっと晴れらしい。

「お、今日は晴れだってさ」
「それは良かったです。昨晩、先生のお休み中に今日行く施設のホームページを見ましたが、露天風呂とかもあるようですね。楽しみです」

 下調べするほどの場所でもないのに、そんなに楽しみにしてるのか、とつい微笑ましく見てしまう。

(やっぱり、まだまだガキだな。こいつ俺以外への愛想めちゃくちゃ悪いから、どこかに遊びに行くにしろ、他に相手いなさそうだもんなぁ)

 嬉々としているジェノスの顔を見ながら、口に運んだ焼き鮭と白飯を咀嚼し、飲み込む。

「……しかし4000円くらいするのがタダって、チケット回してくれたキングに感謝だよな。温泉旅行とか行きたいけどさ、金かかるもんなぁ」
「温泉旅行!行きましょう!全て俺にお任せ下さい、最高の宿を手配します!!」

 返事する隙間もなく、すぐさま折りたたみ携帯がパカッと開かれた。

「待て待てジェノス君。そういうのいいから、本当にいいから」
「しかし先生、あっ」

 どこかに電話をかけようとするのを素早く取り上げて、自分の横に置く。あからさまに落ち込んでいるが、ここはコイツのためにも心を鬼にするべきところだろう。

「お前ほんと金遣い荒すぎな。計画性なくホイホイ金を出すな、ちゃんと貯金しなさい」
「先生、でも俺、先生と温泉旅行したいです……」
「…………」
「サイタマ先生……」
「うっ」

(なんか俺が悪いことしてるみてーになってるけど、俺間違ってねぇよな?!)

 眉尻を下げて俯きながら、ちらりと上目遣いに名前を呟かれると何故だか良心が痛む。昨夜、もっと色んなところに連れて行ってやるかと考えていたことが思い起こされ、それがチクチクと自分を内側から刺すようだ。

「っあ゙ー、もう!わかった!じゃあ、あのブタさん貯金ってことで!貯まったら考える!」

 ビシッ、と箸でテレビの前に置いてあるブタの貯金箱を指す。貯金を教えるならば貯金箱を利用するのが無難なはずだ。

「はいっ!」

 顔を上げ、意外にも聞き分けの良い返事に、何か見落としている気がして考えを巡らす。

「……あ、念のために言っておくけど、万札なんて入れるなよ。入れていいのは500円玉までだ」
「えっ、……はい」

 金遣いの荒さを鑑みて釘を刺しておくと、声のトーンがあからさまに下がった。まさか本当に万札入れようとしてたとは、油断ならない。

「もう一つ念のために言っておくけど……500円以上の値が付く500円玉もダメだからな?」
「そんな?!」
「そんなって、お前なぁ……」

 はぁ、と深い溜め息を一つ吐いてから、味噌汁を飲み干した。

 食べ終わった後はそれぞれ食器を運び、ゴム手袋無しで洗い物ができますと喜んでいるジェノスに食器洗いを任せて着がえる。パジャマを上下とも脱いで、えのきのイラストが背面に描かれた白の長袖、さらにその上に黄色のOPPAIパーカーを着る。さっき見たジェノスのように、服の裾から中の布地をはみ出させてみるも、これではないな、と思い直してパーカーの中に留めた。畳んで積まれたデニム類から適当に一番上の物を取って履き、靴下も履いて、ポケットに財布を突っ込めば準備万端。

「ジェノス-、俺の方はいつでも行けるぞー」
「はいっ、こちらももう終わるので少しお待ちを!」

 カチャカチャと皿同士が当たる音と水音とともに、ジェノスがキッチンの小窓から顔を覗かせて答える。

(いや、やっぱり手足を隠しても、この顔でバレるよな……)

 ジェノスが人気となっている一因は、この整った顔に他ならない。徒歩で向かう道中、ファンに囲まれたり店まで着いてこられたりしたら面倒くさすぎる。それこそダラダラと漫画を読んでなんていられないだろう。ふとキングの変装スタイルを思い出してクローゼットを開け、つば付きのキャップを取り出す。そしてもう一つ、真冬に何度かくしゃみをしていただけで、風邪を心配したジェノスが色々買ってきた中にあったはずのマスクを探す……が、見つからない。

「先生?何かお探しですか?」

 いつの間にか背後に来ていたジェノスが、首を傾げながら問いかけてきた。

「あ、洗い物終わった?前に買ってくれたマスクを探してるんだけど、見付からなくてさー」
「マスク、ですか?それなら薬類と一緒にこの箱に……ありました、どうぞ」

 上の棚の奥の方から緑十字が描かれた箱を引っ張り出してきて、開けると、そこには多様な薬箱やガーゼに包帯、消毒薬や湿布薬、そして目当てのマスクが整理整頓されて並ぶ。手渡された袋の中から1枚取り出して、袋をジェノスに返すと、元あった位置に箱が戻された。それにしても俺の家に救急箱があったとは。

「お前いつの間にこれ揃えたの?」
「先生のお身体は世間一般と比べてはるかに頑丈だとは知っていますが、備えあれば憂い無し、です!」

 質問とは違う受け答えに、また金の無駄遣いを、と思うものの気遣いを叱るのはためらわれ、溜息を一つ零してジェノスの両耳にマスクの紐を引っ掛けた。

「あの、先生これは……?」

 鼻と顎の位置を合わせてやり、最後に帽子を深めに被せて完成。これなら顔をよく見ない限りはジェノスだとバレないだろう。花粉症の時期なので、マスクしている人は普通にいるし、別段怪しくも無いはず。

「変装だよ。お前イケメンだし、有名人なんだから顔でバレるだろ?昨夜テレビにも出てたしさ。行く道でお前のファンに見付かってスーパー銭湯まで着いてこられても困るしなー」

 ジェノスを正面や横から見て頷き、その胸をポンと叩いて笑う。

「うん、大丈夫、ジェノスだってわかんない」
「せ、先生……!」

 急に手を広げたその横をサッとすり抜け、パソコンデスクに置いた茶封筒を手に取って振り返ると、何故かジェノスが自分自身を抱きしめていた。

「えっ、何してんの」
「……なんでもありません」
「ふーん?ほら、行くぞー」

 コイツたまに意味わからねぇな、と首を傾げ、玄関に向かい靴を履いて外に出る。まだ朝のため少し肌寒いが、良い天気だ。廊下から空を見上げていると、ジェノスが出てきて鍵を閉めたので連れ立って歩き出す。

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