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サイ夕マ先生、スーパー銭湯に行く

「晴れて良かったですね」
「そだなー」

 立ち入り禁止区域をてくてく歩き、境界線となっているフェンスをくぐる。近くのゴミ捨て場が視界に入り、そういえば明日は燃えないゴミの日だったなと思い出す。

「今家になんか燃えないゴミあったっけ?」
「先日うっかり割ってしまった皿と、球交換した電球が一つありますね。でも俺、燃えないゴミも燃やせますよ」

 ジェノスがドヤ顔で手の平を見せてくる。が、いつもと違ってそこに焼却砲の穴は見えず、自分と同じ肌色であることを忘れているようだ。

「ゴミはゴミ収集の人に任せれば良いんだよ。……まぁ、家の近くで出た怪人を燃やしておいてくれるのは助かるけどさ。いつもありがとな」
「っ、はい!」

 突き出された手を押し下げながら顔を見ると、目を細めていて、微笑んでいるのがわかる。ふ、とこちらもつられて笑ってしまう。

 更に歩くと人通りが増えてくるが、変装が功を奏したようで、横に歩く男を誰もジェノスだと認識していない。元より立ち入り禁止区域近くのZ市民はジェノスを見慣れているためにそこまで騒がないが、たまに熱狂的なファンが探しに来るようで、そういう奴らと遭遇すると大変だ。ジェノスがいくら冷たくあしらっても、そこが良いと興奮に歯止めがきかない。

「全然バレないもんだなー」
「本当ですね、街中を歩くのがこんなに……」
「……ジェノス?どした?」

 会話中に急に押し黙ったので見ると、眉間に深くシワを寄せている。

「先程通りすがった者が、ハゲマントと並んでいるってことは鬼サイボーグなんじゃないか、と後ろをつけてきています」
「マジか、そのバレ方は想定外だわ」

 熱狂的ファンの勘の鋭さには、一周して感心する。その一方で、隣の男からはあからさまな不機嫌オーラが立ち上る。

「まきましょう、先生っ」
「えっ?!……も-、仕方ねぇな」

 言い終わると同時に走り出したので、やむなくこちらも走ることに。少し離れた後方から、女性陣が何か叫んでいるのが聞こえた。

 そのまま数分走った後、前を行くジェノスが急に立ち止まったので、危うく背中にぶつかりかける。

「おいっ、急に止まるなよ」
「……先生、およそ500m先、この反応はおそらく怪人です!」
「え」

 ジェノスの黒い目が右斜め前方を睨みつける。

「人が逃げている……、ヒーローはまだ誰も現着していないようです」
「わかった、案内しろ!」
「はい!」

 先程よりも遥かにペースを上げて走ると、ズドォンと何かが崩れ落ちる音、そして人の叫び声が聞こえた。

「先生っ、あれです!」

 ジェノスが指差す先には、黒くて丸い何かが暴れている。

(なんだあれ?あれは……、あんこ?)

「我は墓多餅!彼岸にあわせて大量生産、そして食べられることも買われることもなく大量廃棄された同士の怨念!人間どもに食らわせてやるうぅ!!」

 叫びながら、黒いもの……本人が言っているし間違いない、あんこを見境無く撒き散らしているようだ。

「……なぁ、あいつ、食」
「ダメです」

 まだ話している途中だというのに、続きを察したジェノスに強く否定された。まぁそう言うとは思っていたけども。辺りにはあんこが降り注ぎ、あちらこちらに甘い匂いが漂う。なんて言うか、普通に美味そう。

「キャーッ!!」

 金切り声にハッとなって見ると、逃げ遅れた女性が路上にへたり込み、ぼた餅怪人が迫っていた。

「っ、先生!ここは俺がっ、」
「いや、お前はあと10mくらいダッシュで後ろに下がれ」
「えっ?!しかし、あの程度の怪人なら今の俺でも……、っ!」

 右腕の袖を肘までまくり上げ、ググッ、と足に力を溜めると、勢いよく地面を蹴る。ぼた餅怪人の横を走り抜けながら、斜め上に向かってパンチを3連発。と同時に女性を横抱きにしてそのまま50mくらいを走り抜けてから、そっと地面に降ろす。振り返り見ると、破裂したあんこが視線の先でボトボトと落下しているところだった。

「おー、良かった、どこにもあんこ浴びてねぇわ。ジェノスも大丈夫かな?」

 自分の身体を見下ろして、右のこぶし以外にはあんこが付着していないのを確認して一安心する。好奇心から一口舐めてみたら、確かにスーパーで売っている類の味がした。視線を足元の女性に移すと、ひざ下には自分の右手から移ったであろうあんこがべっとりと付いてしまっていた。

「うわ、スマン、抱いたときに付けちゃったわ」

 屈んで目線を合わせつつ詫びを入れると、驚いたように目を見開かれた。

「いえ、あの、大丈夫です、ティ、ティッシュあるので……」

 先程までの恐怖が残っているようで、震える手でコートからポケットティッシュを取り出すも、拭いてるのか伸ばしてるのか、よくわからないことになっている。

「……これ、何枚か貰うな」
「え?」

 路上に置かれたポケットティッシュから数枚を手に取り、まずは自分の右手のあんこをぬぐい、まくり上げていた袖を元に戻す。新しくもう何枚かを手に取ると、あんこのついたひざ下に宛がった。

「あっ、これ、セクハラとかじゃねぇからな?!」
「え?え??」

 念のため一声かけてから、さっきからまともに拭けていないあんこを本人の代わりに拭いてやる。怪人の体の一部ではあるが、ただのあんこっぽいので簡単に取れた。

「ん、きれいになった」
「あっ、ありがとうございます……」

 未だ震える女性を安心させようと笑いかけると、少し落ち着いたのか、俯きながらも小声でお礼を返された。

「せんせえええーーーっ!!」

 突然の叫び声に驚き顔を上げると、ジェノスが猛ダッシュで迫り来て、目の前でピタリと止まる。

「今のはいったい何ですか?!」
「あ、えっと、スーパー銭湯行くのにあんこ浴びたくなかったから?」

 ジェノスの頭から足先まで確認する。どこにもあんこは付いていない。こちらも上手いこと避けれたようだ。

「いえ、そういうことを聞いているのではなく!」

 くわっ!と黒い目を大きく見開いて前のめりに聞いてくる。目しか見えていないのに圧が強い。目は口ほどにものを言うってこういうことか。

「ああ、こう、走りながら上向きに殴ったら浴びずに済むかなと思って3発入れて、そんでこの人担いでまたダッシュしてみただけ」

 こう、と先程のように斜め上に腕を振って見せる。

「3発?!……くっ、俺の処理能力では確認できない、データを博士に送って解析して貰わなくては!」

 どこからともなくノートとペンを取り出して、凄い勢いで何かを書いている。

(立ちながら書けるなんて器用なヤツだな……)

 何を書いているのか気になってノートを覗き込もうとしたところ、助けた女性がゆっくりと立ち上がり、ジェノスと俺を交互に見遣った。

「あ、あの、お名前教えていただけませんか……?」
「ん、俺?」
「……この御方は趣味と実益を兼ねてヒーロー活動をやっている、ハゲマントさんだ。ヒーロー協会にハゲマントさんに助けられたと報告しておけ」

 ノートに書き付ける手を止め、ジェノスが名前を教えながら女性に睨みをきかす。

「えっ、ハゲマントって、あの?!」
「あの、とは何だ。助けられておいて何か文句でもあるのか?」

 ジェノスの声のトーンが一段下がり、その険悪な雰囲気に女性が息を飲んで後退る。

「こら、ジェノス!そういうのいいっていつも言ってんだろ。ほらっ、行くぞー」
「しかし先生っ、」
「はいはいー」

 老若男女関係なく、俺の悪評となるとすぐに機嫌を悪くする弟子の腕を捕まえ、引っ張りながら歩かせる。

「あ、そうそう、別に俺の名前は出さなくてもいいんだけど、協会に電話よろしくー。そしたらアレ片付けに来てくれるからなー」

 振り返り声をかけると、深くお辞儀しているのが見えた。横ではまだジェノスが不機嫌さを露わに何やらブツブツ呟いているので、しばらくそのまま引っ張り歩く。

「まったく、助けたヤツをビビらせてどうすんだよ」
「先生にあんなに完璧に助けられておいて!あの言い様!理解に苦しみます!!」

 ギュッと固く握りしめられた拳には、骨や血管のようなものが浮き出ている。中身は金属だから当然血は通っていないのに再現力すげぇな、と手を凝視していたら未だ不機嫌なジェノスに、聞いてるんですか先生!と怒られた。

「はいはい、聞いてる聞いてる。別に感謝されたくてヒーローやってるんじゃねぇし。ちゃんと間に合って、助けられたんだから、それで良いじゃん。ところでこれ道あってる?Y市の方面こっちだよな?」

 人通りが多い道に出たのでジェノスの腕を離し、先程の教訓からパーカーのフードを被る。自分で認めたくはないが、俺はよく頭で認識されるため、そこを隠せば気付かれにくいはずだ。

「……あっています。このまま真っ直ぐ、5個目の交差点を右です」
「ん、5個目な」

 ジェノスのナビゲートに沿って、Z市を抜けてY市に入る。他愛もない話題をいくつかふっているうちにジェノスの機嫌も直ったようで、マスクの上から覗く目や雰囲気が楽しさを伝えてくるものへと変わった。

「まったく、世話の焼けるやつ……」
「サイタマ先生?」

 溜息を零して小声で呟くと、道案内に数歩先を歩いていたジェノスが振り返り、首を傾げた。

「いや、何でもねぇよ。ところで今何時?途中走ったけど早く着きすぎない?」
「そうですね、8時過ぎに家を出たので9時半頃に到着予定でしたが、今は9時12分、オープンはしていますよ。この角を曲がると店が見えるはず……」
「おっ?あ、あれか!」

 数メートル先に目的地の大きな看板が見える。更に少し歩くと、手前には駐車場、その奥に和風の趣の施設が見えた。

 中に進むと、まず下駄箱が沢山並んでいた。100円が返ってくるタイプのコインロッカーらしい。財布を見るとちょうど100円玉がなく、ジェノスに聞いてみるも財布にはお札しか入れてないなんて言う。両替機で札を硬貨に崩してきたジェノスから100円借りて、靴を預けて受付へと進む。館内を軽く見回してみるが、平日の真ん中、オープンして間もない時間帯だからか、他の客は数名の高齢者がいるだけだ。

「あの、このチケットなんだけど……」

 パーカーの腹ポケットから封筒を取り出し、チケット2枚を受付の女性へと渡す。すぐ後ろにキャップを深くかぶってマスクを着けたジェノスがいるが、気付かれていないようだ。

「はい、ご優待券のお客様ですね。靴箱の鍵をお預かりします。……男性2名様ですね、岩盤浴着は……フリーサイズで大丈夫そうですね」

 言われるがままに二人分の鍵を渡して、岩盤浴着が入ったビニールバッグとタオルセットが入ったビニールバッグを2人分、合計4つ受け取る。ジェノスが後ろから、持ちますよ、と言ってくれたのでそのまま後ろに渡す。

「こちらのリストバンドで清算しますので、必ず身に付けておいてください。あと、お水のお渡しですが、常温と冷えているもの、どちらになさいますか?」
「え、そんなの選べんの?んじゃ歩いてきたし2本とも冷たいヤツで」

 店員が一度奥に下がったタイミングで自分の分のリストバンドを右腕に付け、もう一つをジェノスに手渡す。すぐに店員が冷えたミネラルウォーターを持ってきて、続けて館内案内を聞く。何の漫画から読もうかと考えている間にも説明が進んでいたようで、最後に何かわからないことはありませんか、と問われて顔を上げる。聞いてなかった、と言おうとして、真後ろのジェノスが聞いていただろうと思い直し、大丈夫、と答えた。2本のペットボトルを受け取り、さっそく男湯へと向かう。

「おおー、全然人がいねぇな!」
「本当ですね、朝から来た甲斐があります」

 脱衣所には人がおらず、大きな窓から外湯を見ると老人が数人腰掛けているのが見えるのみ。浴室への出入口に一番近いロッカーを陣取り、ジェノスから自分の分の岩盤浴着とタオルセットのバッグを受け取る。白い薄手のフェイスタオルだけ出し、冷えたミネラルウォーターで事前の水分補給をしてから、ペットボトルとバッグをロッカーに押し込んだ。

「それにしても、その変装。全然バレなかったなー」
「え?……ああ、そうですね」

 キャップとマスクを外したジェノスの方に顔を向けて話すと、神妙な面持ちで顎に手を当てていた。

「ん、どした?」
「あっ、いえ、なんでもありません」
「ふーん?」

(どうせまた何か変なこと考えてんだろうなー)

 考え事しているのを笑って誤魔化すときは、だいたいろくなこと考えていないので、敢えて突っ込んで聞かないようにする。

 服を脱いだらロッカーに押し込み、腰に白いタオルを巻く。こんなに人がいないのならば巻く必要はないが、普段隠されているところにこそ先生の強さの秘密が、とかなんとか言って無遠慮に人の股間や尻を凝視してくるやつが横に1名いるので仕方ない。現にさっきから、光の消えた黒目でどこを見ているかわからなくしているが、経験上これは俺の尻を堂々と観察しているのだと知っている。隠すための行動が逆に隠せていないわけだが、これもまた相手にするのが面倒くさいのでスルーしておく。

「あ……、あの足の皮、そうなるのか。着けたままで良いの?」

 ロッカーの鍵を閉めて2つ目のリストバンドを右腕にはめ、同じタイミングでロッカーを閉じたジェノスを見ると、胴体と太ももの上半分が機械、両腕と両足太ももの下半分から先が人工皮膚の肌色の装甲だった。メタルボディを見慣れているせいで、逆に肌色が不思議でまじまじと見てしまう。足に至っては長い靴下を履いているようなくっきりとした境目だ。

「はい、日常生活に支障が無いか確認するのに良い機会だと思いまして」
「なるほど」

 話しながらペタペタと歩き、脱衣所から洗い場へと進む。ぱっと見30席ほどあるが、オープンして間もない時間だからか、自分達以外には人がいなかった。

「やった、貸し切りじゃん!」

 こんなにガラガラだとテンションも上がる。どこの席を使おうか少し迷った後、真ん中の列の中央席を選ぶ。腰布を外して股の上に置きながら風呂椅子に座ると、その横に当たり前のようにジェノスも座った。

「え、こんなに空いてる中でわざわざ隣に来なくても……」
「いえっ、サイタマ先生の隣が良いんです!」

 異論は認めない!と言わんばかりに、ジェノスが目をくわっと見開いた。

「ああ、そう。こっちにシャワーの湯を飛ばすなよ?」
「はいっ!」

 シャワーのコックをひねって頭から湯を浴びる。来る道中で汗などかいていないが、怪人と戦闘したため一応頭も洗っておくか、と2席の真ん中に置かれているシャンプーを手に出して頭の上で泡立てる。

「ところで先生!今俺の腕は普通の人間と同じような質感なので、ぜひヘッドマッサージさせてください!!」
「へっ?」

 泡が入らないよう目を瞑って頭を洗っている最中、また何か変なことを言い出したかと思うと返事を待たずに10本の指先が地肌に触れた。

「ちょっ、何……」

 止める間もなく、ジェノスの手が指圧を始める。側頭部から中央へ。額の上から頭、後頭部、そして首へ。

「お、おおお……?」

(あれ、これちょっと良い感じかも……)

 手を振り払おうとしたが、頭を揉まれるのが意外と気持ち良く、また周りに人がいないのもあって、されるがままになる。

「先生、頭皮硬いですね」
「え、そう?」

 今までこんな風に誰かに頭を触られたことはなく、また誰かの頭皮を揉むこともないので、自分のが硬いと初めて知った。ジェノスの方が絶対硬いじゃん、と言おうとしたけど思い直して心の中に留める。

「乾燥や紫外線で硬くなるそうですよ」
「へえ。硬いとなんかあんの?」
「肩こりの原因になります。それと……」

 言い淀んだ後、こめかみを親指の腹でグリグリ押される。ちょっと痛気持ちいい。

「それと、なんだよ?」
「…………抜け毛や薄毛の原因にも」
「マジで?!っと、いてて」

 勢いよく振り返ったせいで、目にシャンプーの泡が入ってしまった。目を瞑ってシャワーノズルを探すと、先生これです、と手渡される。

「ん、さんきゅ」

 顔を洗い、そのまま頭にも湯を浴びる。

「気持ちよかったわ、ありがとなー」
「いえ!いつでも喜んでやらせていただきます!!」

 顔のしずくを手で払い、前を見ると、鏡越しに笑顔のジェノスが見えた。

「では先生っ、お背中もお流しします!」
「うん、まぁそう来るだろうなと思ったよ」

 はぁ、と癒やされたからではない意味での息が思わず漏れる。

「さすが先生、俺のことは何でもお見通しなんですね!」
「お見通しも何も……」

 退くことを知らないアグレッシブさがウリの鬼サイボーグは、俺の背後からも退く様子が微塵もない。

(こいつ変なところで頑固だからなー、ああもう面倒くせぇ、さっさと体洗って湯船に浸かりてぇ……)

 股の上に置いていたフェイスタオルを濡らし、ボディソープを出して、後ろのジェノスに渡す。

「ん」
「ありがとうございます!」

 喜ぶジェノスとは対照的に、回避し損ねた状況に気落ちしながら更に一つ溜息を吐いた。ジェノスの手の中で泡立てられたタオルが首から肩へと滑らされる。

「はぁ、素晴らしい僧帽筋です……サイタマ先生の筋肉は、こんなにもしなやかで柔らかいのですね」
「あっそ」

 首と肩を何度か行き来した後、背中へと降りてくる。

「大円筋、広背筋……」

 鏡越しに、いやに真剣な表情をしたジェノスの顔が映る。どうせまた何かしらのデータを集めているのだろう。目がピカピカと明滅している。

「筋肉の話はいいから。背中の真ん中、もうちょい強めにこすって」
「あっ、はい!」

 ぴと、と意図するところにタオルがあてがわれる。

「先生、ここですか?」
「うん」

 なかなか自分では届かない箇所を丁度良い力加減でこすられ、心地良さに目を閉じる。

「あー、そこ、気持ちいいわー」

 同じ力加減で、背中から腰へ。そして再び、腰から背中、首、両肩、もう一度左肩、腕。

「って、いやいや、腕は自分で洗えるから」
「まあまあ、そう言わず、俺にお任せ下さい」
「ええー……」

 まだ続くのかと困惑している間に左腕が持ち上げられ、腕の両面と脇、反対の腕も同じように洗われていく。これでようやく終わった、と一安心したのも束の間、

「っ、ジェノーース!!」

 後ろから抱きこむようにしてタオルを持った手が胸へと伸び、左胸にタオルを滑らされた瞬間、驚いて勢いよく立ち上がってしまった。

「はい?」
「はい?じゃねえよっ」

 泡の付いたタオルを取り上げ、もう一方の手でぺしっと軽く頭をはたく。

「どこまで洗う気だよお前は!」
「どこまでって、それはもちろん、先生のお身体すべてを……」
「おいこらチンコに向かって喋るんじゃねぇ!俺の顔はこっちだ!」

 ずびしっ、と自分の顔を指差すと、ジェノスがハッとなって顔を上げた。

「ったく、銭湯行くたびにジロジロ見やがって!チンコはチンコでしかねぇからな?!そんなところに強さの秘密なんてねぇ!!」

 鼻息荒く怒鳴った後、背を向けて再度風呂椅子に腰を下ろし、胸、そして腹を洗う。

「そもそも、なるべく見ないように、見せないようにするのが男のマナーだろ。お前チンコないからそういうのわかんねぇんだよ、博士に言って着けて貰ってこいよ」

 話しながら、手早く股間、足を洗っていき、桶にタオルを入れて湯を注ぐ。

「ありますよ、俺、チンコ」
「そういう男としてのマナーやモラルっていうもんが……、って、え、あんの?!」

 一拍遅れてジェノスの発言が脳に読み込まれてタオルを洗っている手を止め、横に移動してきたジェノスの方を向く。

「えっ、だって前に聞いたときは無いって言ってたじゃん、いつの間に……」
「はい、少し前のメンテナンスで。味覚や嗅覚などの人間的な感覚を向上させていくのであれば、人間の三大欲求、即ち食欲、睡眠欲、性欲のバランスを取るために、あった方が良いとの博士のご提案で付けました。……見ますか?」

 立ち上がったジェノスの股間をつい凝視してしまう。それらしい物が全く見えないということは体内に格納してるということか。サイボーグのチンコがどういう物なのか、普通に気になる。

「…………、見たい」

 変な場面なので辺りを見回し、誰も来る気配がないことを確認してから返事をする。それを合図に、キキキキ、ウイィーーン、と微かな機械音を鳴らしながらジェノスの股間が表面の線に沿って内に凹み、そのパーツが尻の方にスライドするのにあわせて、ジェノスのジェノスが姿を現した。

「うわ、マジか……」

 銀色に輝くハガネのチンコを想像していたが、想像に反して真っ黒で、何の素材か見当もつかない。屹立した黒チンコの太さ、長さ、カリ首の張りは、さながら男の見栄の権化のようだ。あの博士がこんな立派なイチモツを作るとは意外すぎる。仕上がりが凄すぎて玩具のようにも見えるソレに手を伸ばし、竿の部分を指先で軽く押してみると、機械の硬さではなく本物同様の弾力を感じる。

「すげぇな、この感触、本当にチンコみてぇ。これ何でできてるんだ?」
「あっ、先生、ちょっと」

 胴体部分との接続がどうなっているのか気になり付け根を見ると、着脱できそうな気配があった。なるほどここで接続しているらしい。そしてさすがにタマは付いていないようだ。先端に穴が開いてるところを見ると何かを出せそうだが、サイボーグの体から精液や尿が出るわけでなし、オイルでも出るんだろうかと首を傾げる。

「っ、サイタマ先生!!」
「ぅわっ?!いきなり大声出すなよ、何?」

 声に驚いて見上げると、眉間にシワを寄せ、口をキュッと横一文字に結んだジェノスが真っ黒な目でこちらを見下ろしていた。

「……すみません。でも、あの、サイタマ先生が先程から握っているそれは、一応、俺のチンコなのですが……」
「え?……あ、っわぁ!すまん!!」

 先程の登場の仕方といい、インパクトの強すぎるフォルムといい、良く出来たパーツとして普通に触っていたことに気付いて慌てて手を離す。ジェノスのチンコを弄くり回してしまった事実に急に恥ずかしさを覚え、顔が熱い。湯桶の中のタオルをバシャバシャと洗って場を誤魔化すが、気まずすぎる。

「……悪かったって、そんなに怒るなよ。誰だってこんなもん見たら、どうなってるのか気になるだろ、な?」

 未だ直立不動で見下ろしてくるので、とりあえず謝ってみる。人のチンコをジロジロ見るなと怒ったばかりなので、なんだか居たたまれない。シャワーを浴び、洗ったタオルを腰に巻き直し、未だ返事をしないジェノスの横を通りすがりに肩を軽くポンと叩く。

「……ほら、まぁ、なんだ。お前まだ頭も体も洗ってないだろ?俺はもう洗い終わったから、先に湯船浸かっとくわ。んじゃ!」

 気まずい雰囲気から逃げると、浴室内にペタペタと自分の足音だけが鳴る。

(いやしかし、あんなに仕上がったチンコはAVでも見たことねぇよ……。眼鏡のヤツは自分のクローンや変な生き物を沢山作ってたけど、科学者ってやっぱり変わり者が多いんだな)

 考え事をしながら外風呂へと繋がるガラス戸を開こうとして、はたと止まる。温まっていない体で外に出るのは流石に寒そうなため、まずは内風呂に入ろうと踵を返し、洗い場から繋がった別の部屋に進むと、透明の湯と白い湯の大きな湯船が二つ。それぞれの湯船の奥には説明用の看板が立つ。

(んー、ナノ高濃度人工炭酸風呂と、ナノ酸素水テラピー風呂……ナノって小さいって意味だっけ?)

 酸素水風呂の方には先客が一人いたため、炭酸風呂へと向かい、片足を浸ける。

(おお、小さい泡がプチプチしてる、なんか体に良さそうだな)

 腰布を外して折り畳み頭に乗せ、湯船の中に入り胡座をかいて座る。

「あぁー……」

 体に染み入るような熱さに自然と目を閉じ息を漏らす。この気持ち良さが無料だと思うと、なおのこと癒される。目を開けて湯の中を見ると、体中に小さな気泡が張り付いていた。なんとなしにその肌に指を滑らすと、泡が消え、しかしまたすぐに小さな泡で埋め尽くされる。しばらくそれで手遊びをしてぼんやりしていたら、隣の湯船にいた老人が外風呂へと出て行き、この一帯には自分一人だけとなった。

(酸素水風呂……か。こっちも入ってみよう、湯が白いのはなんだろ?)

 隣の湯船に浸かり直して奥の看板の説明書きを読むと、微細な気泡により白く見える、らしい。なるほどなと納得しながら、もう一度周りを見回す。

(俺しかいねぇな……)

 このように広い湯船を貸し切り状態で使えるとなると、銭湯でやってはいけないと子どもの頃に教えられたこと、そう、泳ぐということをしたくなってしまう。周りには誰もいないし、外からも見えない構造、完璧なシチュエーションにニヤリと笑って。

(ちょっとだけ……誰も見てないし…………)

 童心に帰って両手両足を伸ばして平泳ぎしてみる。とはいえプールのようには広くないので3掻きくらいで端から端に着いてしまう。でも、これはちょっと。

(やべぇ楽しい)

 すい、すい、と両手で湯を掻く。やってはいけないことをやっている背徳感が楽しさを増して感じる。

「…………先生、何やってるんですか」
「ふぇっ?!」

 よく知った声に驚いて振り返ると、入り口のすぐ横、笑いを堪えきれてない口元のジェノスがそこにいた。

「ちょ、おまっ、いつの間に!!」
「いえ……、っ、フフ、先生もそんなことするんですね」
「いやっ、これは、そのっ、」

(やっべー、見られた!)

 恥ずかしいところを見られて気が動転しているのをよそに、スタスタとこちらに歩いてきてタオルを頭に乗せ、隣の炭酸泉に浸かる。前を横切ったジェノスの股間に例のチンコはなく、体内に収納したらしい。

「いや、先生のお気持ちはわかります。こう誰もいないと、フフッ、泳ぎたく、なりますよね……、どうぞ俺のことはお気になさらず」
「おっ、お前なぁっ!」

 こちらに背を向けて口を覆っているが、震える肩とその声で、笑っているのがよくわかる。元々お湯で温まっていたところ、羞恥心で一気に顔が熱く感じる。

「今見たことは忘れろっ!」

 ザバリと波音立てて勢いよく湯船から出る。芯から温められた体が赤い。たぶん今は顔も赤いだろう。

「あっ、先生、どちらへ?」
「外!熱いからっ!!」

 タオルを片手に、ジェノスのいる湯船の前を早足で通り過ぎてガラス戸に手をかける。

「あ、じゃあ俺も行きます」
「来んな!ばか!!」

 入ったばかりの湯船から立ち上がるジェノスから逃げるようにして外へ。冷たい空気が火照った体に心地良い。熱を冷ますのに丁度良いものがないかと見て回ると、寝転び湯なるものを見つけた。数センチ程度の深さに湯が張られている。

(なるほど、仰向けで入るのか)

 木の枕に頭を預けて股間をタオルで隠す。体の前面は空気に触れているが、背中がお湯に浸かっているので火照った体には寒くなく、むしろ丁度良い。青空を見上げているとジェノスの金髪が視界に入った。隣に来て、こちらを向いて正座する。

「先生、先程は失礼しました」
「……おい、まだ口元ニヤついてるぞ」
「すみません、あまりにも可愛らしくて、まだ余韻が抜けず」
「…………」

 ごろりと横向きに転がってジェノスに背を向ける。

「あっ、先生!……すみません、笑ってしまったお詫びに、売店でソフトクリームをご馳走しますから」
「…………」
「さっき先生が見ていた、プレミアムの方です」

 その申し出に、もう一度転がってジェノスの方を向く。まだ正座したままだった。

「マジで?あの600円するヤツ?」
「はい、あの600円のヤツです」

 風呂へと続く入り口脇の売店に、高級感の漂う看板と今まで見たことのないタイプのソフトクリームの大きな写真があり、興味をひかれたものの値段を見て目を背けた。それを目ざとく見ていて、ここで交渉の材料にしてくるとは。しかし、生クリーム率が高くて濃厚、今までに無いスイーツ、というキャッチコピーが思い起こされ頭を占める。

「……仕方ねぇ、許す」

 お高いソフトクリームの魅力に負けて答えると、ジェノスが安堵の表情を浮かべ、いそいそと隣のスペースに横になった。

「天気、良いですね」
「だな」

 真上には屋根があるため眩しくはないが、目を閉じ、しばらくそのままで体の熱を冷ます。

「……おお、お兄さん方、若いのに苦労しとるねぇ」

 しわがれた声に目を開け、少し頭を持ち上げて見ると、足元の通路に老人が佇み、こちらに話し掛けているようだった。

「機械の体とは初めて見たわ。毎日そこかしこに怪人だらけで嫌になるが、いや命あって良かったなぁ」

 ジェノスがむくりと起き上がるのを横目に見る。

「そっちのお兄さんも、その頭……」
「うっせー!そっちもハゲてんじゃねぇか!……って、じいさんその足……」

 突然のハゲ呼ばわりに言い返しながら飛び起きて見ると、右足の膝から下が義足だった。ジェノスのそれとはだいぶ形状が異なるが、医療用のものはこういう形なのか。

「怪人にやられたのか?」

 ジェノスが静かな声で問いかける。

「ああ、1年くらい前にな。こんなジジイだのに、ヒーローさんが助けてくれて、まだしぶとく生きとるわ」

 にかっ、と笑うその口にはあまり歯がなかったが、生きている喜びを感じられて眩しい。

「そっか、良かったな、じいさん」

 どこの誰が助けたのかは知らないが、こういう顔を見ると、ヒーローやってて良かったなと思う。趣味だし、道中でジェノスに言ったように感謝されるためにやってるわけじゃないけれど、この力で人が救えるならば。

「立ち話してたらまた寒ぅなってきたな、浸かり直すか。邪魔したの」

 義足でヨタヨタと内風呂へと向かう背中を見送る。さっきから黙ったままのジェノスの方を向くと、また何か難しいことでも考えているようだった。

「……たしかにちょっと寒いな、サウナ行こうぜジェノス」
「えっ、あっ、はい!」

 近くの白い建物へと歩み寄ると、右側には漢方薬草サウナ、左側には塩サウナと書かれた看板があり、ドアから覗くと塩サウナには数人の先客がいたので薬草サウナの方へと進む。

「うっわ、すごい蒸気だな!何も見えねぇ」

 室内全体が水蒸気で白く曇っていて前がよく見えない。目をパチパチと瞬きしてみても、薄らボンヤリと室内の輪郭がわかる程度だ。

「先生、こちらです」
「おっ、おう」

 機械の目を持つジェノスには関係ないようで、戸惑っているところ腕を引かれて座席へと誘導された。しばらくすると目が慣れてきて、朧気ながらも見えるようになった。10名ほどが座れる室内に自分達しかいないようだ。

「平日の午前中って、こんなにも人がいないんだな」
「はい、穴場ですね。高齢者しかいないので俺達を見て騒がれることもないですし」
「そだなー」

 そのまま二人して無言になる。天井から落ちてくる雫が床に撥ねる音だけが響き、薬草の独特の匂いが肺に満ちていく。

「……あのさ、さっきのじいさんの話。ひょっとして、自分が居合わせていれば、とか思ってる?」

 先程隣で感じていたことをそのまま口に出してみると、ジェノスがバッとこちらを向いた。なんでそれを、って顔してる。

「はは、やっぱり」
「っ、俺には正義活動を遂行するための力が、この体があります!それなのに、救えないものが多すぎる……!」

 水蒸気のぼやけた視界の中でも、真横の男の顔が苦しそうに、悔しそうに歪んでいるのがわかる。

「そりゃまぁ、仕方ねぇよ」
「そんなっ」
「……俺だって間に合わなかったこと、一度や二度じゃねぇしな」
「えっ」

 ジェノスが息を飲んだのを感じる。さっきの老人との遣り取りから何を考えていたのかわかったのは、短くはない期間を一緒に過ごしているのもあるが、自分が経験した感情でもあるからだ。敵を一撃で倒せる力を持っていても、災害の現場に間に合わなければ意味は無い。ニュースを見てダッシュで行くものの間に合わず、死屍累々の状況を目にしたこともある。それこそヒーロー活動をし始めた最初の頃なんて、自分の力が及ばず、目の前で人が蹂躙されたことも。あまり思い返したくはない状況を、閉じたまぶたの裏に浮かべながら薬草の匂い漂う蒸気を深く吸い込み、そしてまたゆっくりと吐いた。

「まぁ、ほら、あのじいさんは人生謳歌してるって感じだったじゃん。……お前一人で全てを抱えなくたっていいんだよ。ジェノスに助けられた人はいっぱいいるんだしさ、な?」
「先生……」

 なだめるつもりで金色の頭をポフポフと撫でてやると、ジェノスが困ったように静かに微笑んで目を閉じた。落ち着きを取り戻した様子に一安心し、こちらも背もたれに身を預けて目を閉ざす。

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