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サイ夕マ先生、スーパー銭湯に行く

「せんせ……、サイタマ先生……」

 遠くにジェノスの声が聞こえる。もう朝か。

「先生、そろそろ起きて下さい」
「んぅ……、今日の朝飯何…………」

 身じろぎして目を擦ろうとすると、バラバラと何かが落ちる音が耳元で響いた。

「フフ、先生、寝ぼけてますね?」

 顔の上から何かが取り払われ、急に明るくなった視界に目を強く瞑り、しばらくしてからゆっくり開けると、ジェノスが微笑みを浮かべながら覗き込んでいた。

「…………」
「おはようございます先生、そしてここは岩盤浴ですよ」

 まだボンヤリとした頭で数度瞬きをしてジェノスの黒い目と見つめ合う。その頭越しには見慣れない天井、左右を見て状況を理解し、完全に寝ぼけていた先程の受け答えが恥ずかしく、両手で顔を覆う。

「……オハヨウ。俺、どのくらい寝てた?」

「あの後すぐに寝入られて、20分ほどですね。汗も沢山かいていますし、そろそろクールダウンして水を飲まれた方が良いかと思いまして」

 ゆっくりと体を起こしてタオルの上で胡座をかく。入ったときにいた先客はもうおらず、自分達だけとなっていた。体を見下ろすと、岩塩が乗せられていた腹の上は汗で色が濃くなっており、両手足も玉の汗が浮かんでいる。

「ほんとだ、いつの間にこんなに……」

 フェイスタオルで頭、顔、腕、腹と汗を拭いていく。

「先生、背中も汗でビッショリですよ。……そのままだと出たときに体を冷やしてしまうので拭きますね?」
「んー」

 今このタイミングで起こして貰って良かった。汗をかきすぎたのか、熱さで少し頭がクラクラしている。ジェノスに汗だくの背中を拭かれながら、脳味噌を働かせるために深呼吸を一回。

「先生?大丈夫ですか?……もう少し早くに起こした方が良かったですね、早く水を飲みましょう」
「んー。あっついわー……」

 拭いても拭いても汗が滲んでくるので拭くのを諦めて首にかける。先に立ち上がったジェノスが伸ばしてくる腕を掴み、よいしょ、と小さくかけ声を発して腰を上げ、敷いていたタオルを回収する。

 外に出ると空気が涼しく感じられた。ジェノスが小走りして取ってきてくれた水を飲み、一息吐く。

「先生、あそこで少し休憩しましょう」

 先程見ていた寝ころび処をジェノスが指差す。たしかにちょっと休憩した方がいい気がする。

「うん、じゃあちょっと漫画取ってくるわ」
「はい、では俺も」

 二手に分かれて少年漫画の棚へ行き、タオルとペットボトルを小脇に抱え、しばらく買っていなかったゴキブリバスターと太陽マンの未読分を左手に重ねる。他にも読みたいものはあるが、既に5冊を手にしているため寝ころび処へと戻る。

「お」
「あっ、先生」

 同じタイミングで戻ってきたジェノスと鉢合わせし、そのまま寝転び処に上がって壁際上部の2席を陣取った。

「ジェノスは何読むの……って、お前それ……」

 重ね持ちしていた雑誌の一番上には、RDK最強の台所洗剤はこれだ!とか、秘伝☆しつこい油汚れの簡単な落とし方!とかのキャッチコピーが躍る。目線をずらして他の雑誌の背表紙を見ると、キャベツクラブ4月号、料理帝国4月号、あしたの料理4月号……どうやら料理雑誌ばかりを持ってきたらしい。

「いや、お前、主婦かよ……」

 ハタチ前後の男がまず手に取らないだろうラインナップに驚いているこちらとは対照的に、何故かはにかんだ笑顔を返してくる。

「そんな、主夫だなんて俺はまだまだ……あっ、そうそうこれ凄いんですよ、さっき軽く立ち読みしたんですけど、コンロの油汚れがほら!こんな簡単なやり方で落ちるんです!」

 RDKの特集ページを開いて渡されても、俺には何がそんなに興奮することなのかがわからない。しかし当人は、こういうやり方があったなんて本当に凄いですよね、とかなんとか呟いている。

「ああ、うん、わかったから、静かに読もうね」
「あっ、はい、そうですね。すみません、つい」

 渡された雑誌をそっとジェノスに押し戻すと、少し離れたところに寝ている人もいるのを見て、小声になって返事をされた。寝椅子の上に仰向けに寝転がって漫画を読む傍ら、チラリと横目でジェノスを見ると、うつ伏せで頬杖をつき、先程の雑誌を真剣な表情で捲りながら、なるほどそうか、とか何とか時折呟いている。

(俺が家事を任せすぎたせいでこうなってしまったんだろうか……。いや、俺、何回もやらなくていいって言ったし、気付いたら勝手に掃除やら何やらしてるし……)

 誰かに言い訳をするでもなく、そのようなことを考えていると何となく罪悪感を覚えたので、漫画を読むのに集中することにした。

――1時間後――

 持ってきた漫画の4冊目を読み終えて5冊目を手に取ろうとしたとき、隣から何も音がしないことに気付いて横を向くと、料理雑誌を開いたままでジェノスがうたた寝をしていた。サイボーグだからか、いつもはスリープモードに切り替えて寝息も立てず死んだように眠る。そのくせ俺が夜中にトイレに起きようものなら、その物音ですぐに起きる。家でうたた寝しているのを初めて見たときには、スリープモードに移行する時間でも無いし物音で起きないし、死んだのかと思って狼狽えたものだ。うたた寝は脳による自然睡眠だから、スリープモードよりも深く寝入ってしまうらしい。それにしても、家以外でうたた寝しているとは珍しい……いや、自分達以外の人がいる環境では初めて見た気がする。

(サイボーグでもこういうところに来たら癒されるのかな、連れてきて良かったかも)

 寝顔を見ていると年齢相応のあどけなさが残っていることに気付かされる。

(こうしてると、そこらの学生と何も変わらねぇのにな)

 脳以外をサイボーグ化し、普段は全身を無骨な金属で覆っているが、今日は周りの人達と変わりない肌色をしている。そのギャップが若干15歳の少年に強いられた不遇を際立たせるように感じられた。

(まぁでも、家に来た当初と比べて最近は色んな顔するようになったし、俺よりも感情豊かなんじゃないかな)

 自嘲を含めた微笑みを浮かべながら、丸めて置かれているジェノスの大判タオルを広げ、その背面にかけてやる。と、ジェノスのまぶたがピクリと震え、ゆっくりと黒い目が開いた。

「あっ、ごめん、起こしたか」
「せんせ……?」

 シパシパと瞬きを繰り返している。スリープモードから起きるときは、それこそ機械が起動するかのようにスムーズに起床するが、うたた寝から起きるときは普通の人間と変わりない。

「もうちょっと寝てて良いぞ、俺もう一冊読みたい漫画あるし。読み終わったら起こすから、そしたら昼飯食いに行こうぜ」

 眩しいと寝直しづらいかと思い、ジェノスのフェイスタオルをその頭にかぶせ、子どもを寝かしつけるかのようにポフポフとタオル越しの頭を撫でる。何度かそうしているうちに無音でピクリとも動かなくなったため、うまいこと二度寝に入れたらしい。こういう人間くさいところを残しくれているあたりはクセーノに感謝する。

 寝入ったジェノスを改めて見ると、頭も体も茶色いタオルで覆い尽くされていて、そうしたのは自分だけども、それがなんだか少し面白い。起こさないよう声に出さずに笑って最後の一冊を手に取った。

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