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熱帯夜

 暗闇の中でサイタマ先生と「おやすみ」を言い合った数十分後。

「はぁ……、んん、ふぅ……」

 横から艶めかしい声が聞こえてくるのを、じっと耐える。

「っ、はぁ、あっつ……」

 衣擦れの音にたまらず先生の方を向くと、タオルケットを蹴飛ばしてパジャマの前ボタンを外しているところだった。ああ、今夜も、か。

「先生、サイタマ先生、あの、それ、なんとかなりませんか」

 扇情的な姿を記録媒体に保存しながら呼びかけると、先生が俺の方を向いて薄く目を開いた。

「んん……何の話?」
「その声です! そんな格好で色っぽい声を出さないでくださいっ!」

 熱帯夜が続くここ数日の先生は、毎夜この状態である。「こんな暑いのに余計に暑くなることなんてしたくねぇ」との理由でセックスはできず、また、入眠しようとしているサイタマ先生に手を出すことは御法度であるため、俺は何日も生殺しを受けていた。

「はぁ? 色っぽいってお前、暑さで頭沸いてんじゃねぇの。つーかここのところマジで暑すぎだろ。全然寝れねぇ……」
「暑いのなら俺の身体を利用してくださいと前から言ってるじゃないですか」

 冷却機能を利用してこの鉄の身体を冷やせば、先生が値段を見て諦めた接触冷感シーツよりも心地の良い冷たさを提供できる。が、しかし。

「だからそれは嫌だって。前もお前がサカって余計に汗いたじゃねぇか」
「あっ、あれは先生がっ」
「ああもう、うっせー。こっちは眠いんだから静かにしろっての」

 そう言いながら先生がころりと横に転がり、背中を向けた。

 ――ああ、先週の俺よ、なぜあんなに調子に乗ってしまったのか! 俺の19歳め! 堪え性のなさが腹立たしい!

 結局その日も、その次の日も同様の状況となり、先生の熱い吐息が気になって十分に眠れない日々が続いた俺はクセーノ博士の研究所へ向かった。

 研究所に一泊をしてからサイタマ先生の家へと戻ったその夜も、寝苦しい夜だった。

 遂にパジャマを着ることをやめてしまった先生がパンツ一枚で布団に寝転び漫画を読んでいる隣で、新しいアームパーツに換装する。

「ん? あれ、ジェノス、その腕何? なんか扇風機みたいなの着いてるけど」
「はい、ここ数日の寝苦しさを博士に相談して作っていただきました!」

 先生の質問に答えながら新しいアームの送風機能を起動する。夜間利用を想定して作ってもらったそれは、とても静かな羽音とともにサイタマ先生の方へと風を運びはじめた。

「おお、涼しい――って、お前これ扇風機じゃね!?」
「はいっ、先生専用扇風機です! これで先生の寝苦しさも緩和されるはずです!」
「いやそんな堂々と認められても……。つーか俺、そういう家電は使わないって言っただろ」
「先生、これはあくまでも俺の身体の一部であり、季節家電ではありません。その証拠に、ご覧ください、電源コードなしに動きます!」
「え、えぇー……」

 困惑している先生をいつものごとく勢いで押し流し、この腕の機能を利用して眠ることとなった。博士いわく「1/fゆらぎのリラックス効果がある風」のおかげか、ここ数日のことが嘘のように先生がストンと眠られたので、俺も久々にスリープモードを正常起動させることができた。

「――ノス、ジェノス、なぁって」
「っ、先生……?」

 先生に名前を呼ばれたことによりスリープモードが解除されたらしい。時刻は――まだ深夜2時を回ったところか。普段の先生ならば熟睡している時間のはずだが、一体どうされたのか。

 ――はっ! ああ、まさかこれが夜這いというものか!?

「ジェノス、寒いから扇風機止めて」
「え、あっ、はい」

 先生に言われるがまま急ぎ送風機能を停止させる。その体温を測ると平熱よりも下がってしまっていた。夜通し風を送るのは逆に身体を冷やしすぎてしまうらしい。

「先生、配慮が足らず申し訳ございませんでした」
「ん、いいよ、ダイジョーブ」

 タオルケットで身体を覆い丸まっている先生を、コアを発熱させて温めた腕で抱きしめる。心地よいのか先生が擦り寄り、少しすると寝息が聞こえ、しばらくそれを聞いてから再びスリープモードを起動した。

 ――翌朝。スリープモード解除とともに目を開けると、俺の腕の中のサイタマ先生と目が合った。額の汗が眩しい。

「あれ、先生、おはようございま――」
「あれ、じゃねぇよ。起きたなら腕どけて。くそあちぃ」
「は、はいっ」

 腕を放すと大きく息を吐いた先生がタオルケットを蹴飛ばした。

「ジェノス、あのさ」

 先生が枕に頬杖をついてこちらを向く。安眠を妨害してしまったことへのお叱りだろうか。

「はいっ、なんでしょうか」
「お前さ、俺のためにってそんな色々変な機能付けんなよな。その、なんて言うか――ジェノスはジェノスのままでいいよ」
「っ! せんせ――」
「ってことで、さてとっ、早起きは三文の得だからなー、まずは朝風呂だな!」

 抱きしめようとする俺の腕の動きよりも速く起き上がった先生が、いつの間にかもう廊下におられる。先生、流石の速さです。でも、俺にはわかりますよ、照れ隠しですね、先生。

 窓の外はまだ薄暗いが、昨日の天気予報によると晴れらしい。先生の汗を吸ったタオルケットを洗って干すにはちょうど良い天気だ。先ほどの感じならば、ひょっとすると今夜は久々にできるかもしれない。

 汗ばむ先生の、あの艶めかしい声が自分に向けられたら――そんな妄想に反応を示すシステムメッセージにキャンセルを指示しつつ、布団をたたむところから初夏の暑い一日をスタートさせた。

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