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雨に唄えば

 偶然の出逢いは、すぐに運命だと感じた。ただ復讐のためだけに生き、誰かの叫び声と破壊音に満ちた灰色の世界に、必殺の一撃とともに現れた人。

 初めは焦燥。先生との圧倒的な力量差に自分の弱さを知り、復讐第一だった俺は、こんなちっぽけな力では目的を果たせないのではないかと自分の弱さに怒りすら覚えた。

 そして憧憬。誰も住まなくなった街で慎ましい生活を送りながら、人知れず誰かを救い、それでいて少しも驕らない姿に畏敬の念を抱いた。

 それらが思慕に変わったのは、最強ゆえの孤独な背中を目にしたとき。冷えた心を垣間見て、抱きしめたいと、この方の力にはかなわずとも、無自覚ながらも繊細なところがあるお心をお守りしたいと思うようになった。

 先生への片恋を自覚してからは、世界は色鮮やかなものとなり、音が溢れ、止まっていた時間が動き出すようだった。喜びを共有し、たまに怒ったり照れたりする様を隣で見ていると、肉体とともに失ったと思っていた心がざわめき立つ。愛しさが溢れそうになるのをなんとか堰き止める日々。

 先生のお側に居続けるため、押し殺し、隠していた「愛しい」という気持ちが、いつしか「愛されたい」という願いに変わった。それからも長く耐え忍んできたが、意を決し、玉砕覚悟で告白した昨日の夜。

(あぁ、報われない想いだと思っていたのに、これは本当に奇跡だ!)

 映像記録を再生するまでもなく、まぶたの裏に何度だって浮かぶ、先生の照れた顔。耳まで真っ赤にして発せられた、俺も、という小さな声。

 嬉しくって、抱きしめて、初めてキスをして。脳が興奮しすぎたようで、寝ようとしてもスリープモードがなかなか作動しなかった。朝起きたときには、都合のいい夢じゃないかと思った。でも寝起きの先生の、少し気恥ずかしそうな「おはよう」の言葉。そして家を出るときに応じてくださった「いってきます」のキス。その光景が今日一日中、何度も何度も頭の中でループする。

「――先生、今帰りますっ」

 唇の柔らかな、そして少しカサついた感触を思い出しながら大雨に向かって走り出る。鉄の身体を叩く雨粒は、ようやく結ばれた自分達を祝福するフラワーシャワーのよう。水溜りを踏み飛沫が上がる。それすら楽しく、黒雲の下だろうと世界が輝いて見える。

(先生! 先生! ああっ、サイタマ先生!)

 心の中で歓喜に沸き叫び、燃える想いをそのまま両肩のターボエンジンに伝えてブーストさせる。何度か先生と通った道、そこかしこで一緒に歩いたときの先生の表情が脳裏に次々と浮かび上がる。

 特売品を買えて笑顔の先生。野良猫に逃げられてしょんぼりする先生。キングにゲームで連敗して拗ねる先生。茹だるような暑さに汗を滴らせ、太陽の眩しさに目を細める先生。頭皮の日焼けを心配したときの怒り顔の先生。無表情のまま敵を一撃で屠る先生。……遠く、憧れの存在だった先生。

(そんな先生と、まさか本当に恋人に、ああ、好きだと言って貰えるなんて! こんな幸せなことってあるか!?)

 脳以外の臓器はもう何年も前になくしたというのに、どうしてか鼓動の高鳴りを感じる。幸せが全身に満ちているのを感じる。今なら何だって出来そうな気がする。逸る心。全速力で街を駆け抜ける。

(先生、好きです、大好きです! 好きすぎてもう、俺はどうしたらいいのかわかりません! どうしたらいいですか先生っ!?)

 恋人になった先生と、今日からどんなことをして過ごせば良いのかわからない。やりたいことはいっぱいあるが何から始めればいいのかわからない。世の恋人達は何をしているのだろうか。ちょうど視界を掠めたカップルが手を繋いで雨宿りしていた。俺も先生と、手を?

(いや、無理だ、そんなの上手く歩ける気がしない! そんな、だって先生が、俺と? あぁっ!)

 衝動そのままにダンッと地を蹴り跳び上がり、ビルの屋根に着地する。人通りを避けて誰にも邪魔されない屋上伝いに帰路を急ぐ。

(クソッ、家までこんなに遠かったか!? ああ早く帰って、先生、貴方をもう一度この腕に抱きしめたいのに!)

 怪人討伐の要請がなければ、会議への召集がなければ、先生は今頃きっと俺の腕の中にいたはずで。会えない時間の一分一秒がもどかしく、がむしゃらに走り、跳躍する。

 ようやくZ市のゴーストタウンを隔離するフェンスまで来ると、サイタマ先生の位置情報を示すアラートが突然視界に割り込んできた。

(えっ、先生がこっちに向かって歩いてくる……?)

 足を止めて確認し、レーダーの示す場所に向かって再び走る。あとは、この角を曲がれば!

「あっ」
「っ、せんせええぇーっ!」

 ビニール傘を持つ先生。俺を見て少しびっくりした顔をしている。最高に可愛い。好きだ。たまらない。愛しい。あぁっ、好きすぎる!

「ちょ、うわっ!?」
「ただいま戻りました先生っ!」

 そうして全力で抱きしめる。慣性の法則そのままの、突進に近い抱擁だろうとも先生はビクともしない。誰よりも強くて、格好良く、可愛い先生。そして、俺の恋人!

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