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雨に唄えば

 本気の趣味を実現するために死にものぐるいで特訓し、ようやく得られた無敵のパワー。しかしそれと引き換えに、心が何かに震えることはなくなり、昨日と大差ない今日を過ごす日々。

 そんな生活に突然押しかけてきて、大金を積んで居座った男。ただひたすらに、貪欲に、俺の強さ、そして俺という人間を知ろうとする変なヤツ。ジェノスの中で俺はよほど格好良く見えているらしく、いつだって期待と尊敬の眼差しを向けてくる。

 しばらく経ってジェノスとの同居と遠慮の無い視線にも慣れてきた頃。強さを追い求めて努力する姿やひたむきさには感心したし、たまに変な言動をするのも面白いなと思うようになって。一緒に過ごすのは苦ではなく、寧ろ楽しいと感じられて。

 さらに日が経ち、起床すると朝飯が当たり前のように用意されていて、掃除や洗濯といった家事の合間には昼飯や晩飯が作られている毎日に、いつの間にか自分好みの濃さになってる味噌汁に、ふと、あまりにも唐突に、ああ俺はジェノスが好きなんだな、と気付いてしまった。でも、師弟だから。そんな気持ちは心の奥底に秘めて鍵を掛けておいた。……それなのに。

 畳んだ布団にもたれていたのを、ずるずると身体を傾けていき横になり、両手で顔を覆う。

(あいつも俺のことを、す、好き、だなんて……!)

 思い出すだけで顔が熱くなる。昨夜突然、いつにもまして真剣な表情で大事な話があると言われて。一体何事か、もしかして俺のキモチがばれて同居解消を求められるのか、と腹をくくっていたのに、とうとうと、いかに俺のことが好きかという話を聞かされた。正座して、金色の瞳で真っ直ぐに俺を見据えて。驚いて固まっていたらジェノスが泣きそうな顔をして。俺よりも年下の男がこんなに頑張ったんだぞと自分を奮い立たせ、その肩に頭を寄せて返事をしたら、全力で抱きしめられて、そして。

(あ゙ーっ、もう! ダメだ恥ずかし死ぬ!!)

 ついさっきのことのように生々しく思い出される、ジェノスの唇の柔らかさ。名前を呼ぶ優しい声。熱い抱擁。それだけでももう俺にはいっぱいいっぱい。なのに。それなのに。

 いってらっしゃいのキス。
 とろけるようなジェノスの顔。

(だってあんな風にジェノスが、……いや、もう! 何やってんだ、俺っ!!)

 床に転がり身悶えていたら布団にぶつかり、その衝撃で枕が落ちてきて頭に当たった。両手に抱いてボフンと顔を埋める。

(誰かを好きになるって、こんなにも大変だなんて知らなかった。……ヤバい、今日あいつが帰ってきたらどんな顔すれば良いんだ? いつも家で何してたっけ、昨日どんな風に過ごしていたっけ?)

 初めて誰かを好きになって、その相手からも同じ気持ちを返されて。心をギュッと鷲掴みにされたよう。戦闘時とは比べものにならないほどに身体中がバクバクしている。熱い。

「はぁ……」

 ジェノスが家を出て行ってから、もう何度目かわからない溜め息を吐く。そうこうしてるうちに帰ってきてしまう。

「――コンビニでも行くか」

 気分転換と、熱冷まし。そして現実逃避に。そうと決まればさっそく財布をポケットに突っ込んで、ビニール傘片手に家を出る。

(ちょっと遠目のコンビニに行こうかな、家の中にいたって、どんな顔して出迎えればいいかわかんねーし)

 今日ジェノスと会うには、まだ少し心の準備が必要。昨日までの、師匠の俺をちゃんと思い出してから何食わぬ顔で家に帰ろう。そう考えながら傘越しの空を見上げる。

(コンビニで、何か適当に飲み物買って、イートインで時間を潰そう。うん、そうしよう、それがいい)

 雨雲をなんとなしに眺めていると、ザアザアと降る雨が傘に弾かれる音の向こう側から、バシャバシャと別の音が聞こえてきて正面を見る。

「あっ」
「っ、せんせええぇーっ!」

 全開笑顔のジェノスがそこに。俺と目が合うや否や、速度を上げて走ってくる。

(えっ、待ってまだ俺、心の準備が、うわこれどうしたらいいの、どんな顔すれば、って――)

「ちょ、うわっ?!」
「ただいま戻りました先生っ!」

 最後は飛び込むようにして、気付けば全力で抱きしめられていた。びしょ濡れのジェノスが冷たい。でもコアの部分が熱い。外に出て平常運転に戻っていた心臓がまたドキドキと早鐘を打つ。この心音はジェノスにも届いているのだろうか。そうだとすると、ちょっと恥ずかしい。

「先生っ!好きです、先生!」

 こちらの悩みなど気にも掛けず、そう言いながらまたギュッと腕に力を入れてくる。好きの嵐だ。腕や胴の密着している部分にも温もりを感じはじめるのは、俺の体温のせいだろうか、それともジェノスの発熱のせいだろうか。

(――どっちでもいいか)

 きっと明日も、その先も、ジェノスとなら楽しい気がする。濡れた背中に腕を回し、ポンポンと軽く叩く。

「わかったから、ほら、苦しいっつの」
「え、あっ、すみませんっ!」

 ようやく解かれた抱擁に正面からジェノスを見ると、申し訳なさそうに項垂れていた。苦しいだなんて、本当はそんなことないけれど。

「まぁ、その、……帰ろうぜ」
「先生、どこかにお出かけだったのでは?」
「あー、ウン、大丈夫」

 どんな顔すれば、と悩んでいたが、出会い頭の抱擁に吹き飛ばされてしまった。いつだってそうだ。悩む隙など与えてくれず、気付いたら受け入れてしまっている。今となってはもう、心の一番深いところまで。

(ああ、俺、本当にコイツのことが好きなんだな……)

「先生、あの」
「ん?何?」

 自分の気持ちに向き合いながら来た道を戻っていると名前を呼ばれて隣を向く。

「俺なら大丈夫なので、先生が濡れないようにしてください」
「確かに、そんだけ濡れてりゃもう一緒かもしれねーけど……いいじゃん、別に」

 恋人なんだし、相合い傘くらい。続くはずだった言葉は恥ずかしさを覚えて飲み込んだ。恋人と相合い傘。そのフレーズを意識するとまた顔が熱くなってきたので俯いて誤魔化す。

「先生……」

 優しい声とともに機械の手が俺の顎に触れ、ジェノスの方を向かされた。雨に濡れて金髪の毛先が顔に張り付いている。金色の瞳、長い睫毛。

(あ……)

 キスされる、また。立ち止まり、目を閉じる。自分たち以外には誰もいないとわかっているけど、路上でなんて。心臓が爆発しそう。

「…………?」

 予想した感触が降りてこないことにそっと目を開けると、至近距離でジッと見つめられていた。

「先生……、可愛すぎます……」
「おまっ、っ」

 抗議をしようとした瞬間、口を塞がれた。柔らかい、ジェノスの唇。鼻息がジェノスに当たるのが気になって息を止めていたら、ちゃんと呼吸してください、と困ったように言われてしまった。

「っ、悪かったな、お前と違ってこういうの慣れてねーんだよ!」
「慣れてるなんてそんな、俺のファーストキスは昨日の先生です」
「えっ、ウソ」
「本当です。俺は先生に嘘を吐きません」

 恥ずかしくなり、ぷい、と横を向いていたが、そのすぐ後のジェノスの言葉にもう一度そちらを見る。生身の頃もモテていただろうこんなに格好いい男のファーストキスが俺なんかで良かったのだろうか。そんな考えが頭をよぎるが、それを見透かしたようにジェノスが微笑む。

「俺の初恋も、サイタマ先生です。初恋は実らないなんてジンクスがありますが、先生とお付き合いできるなんて、本当に夢みたいです」

 あまりにも綺麗に、心の底から幸せだと言わんばかりに微笑まれて、俺なんかで、という卑屈な考えが掻き消されてしまった。

「そっか……、一緒だな」

 初恋も、ファーストキスも、俺と同じ。こそばゆく、恥ずかしい。でもそれ以上に嬉しさが何度もこみあげる。

「ああっ、先生っ、もう、そんな! 俺をどこまで幸せにする気ですかっ!」

 隣でジェノスが手で顔を覆い、身体のあちこちから湯気を立たせて天を仰ぐ。

 止まない雨が二人を近付け、傘の中を幸せで満たす。心臓とコアが歌い踊るのを感じながら、ゆっくりと家へ向かって歩き出した。

―終わり―

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