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The SAITAMA Before Christmas 前編

翌日。借り受けた服と靴を身につけ、その上から厚手のジャンパーを羽織り、ヘルメットを片手に持ったサイタマが事前に聞いていた場所へと向かうと、朝から勤務していたらしい作業員達がそこここに積まれた瓦礫に腰掛けて休憩を取っているところだった。サイタマはその中で最も道路近くの瓦礫に腰を下ろし、背を向けてタバコを吸っている男に声をかける。

「すんません、アルバイトのサイタマ――あっ」
「おおっ、タマちゃん! 久しぶりじゃねぇか! ぶはっ、社長からスゲー禿げてたとは聞いていたが、えらく綺麗になっちまってまぁ! はっはっは!」

浅黒い肌に無精ひげ、頭に白いタオルを巻いた姿で一服していた中年の男は、振り向いてサイタマを視認するなり豪快に笑いながら立ち上がった。その身長差に合わせてサイタマの顔はやや上を向き、不本意な呼び方と失礼な物言いに文句を言おうとしたが、一度は開けた口を何も言わずにまた閉じる。

知り合いであることは確かであるが、さっぱり名前が思い出せない。
何て名前だったっけと頭をフル回転させて、以前も現場ごとに変わる関係者の名前を覚えられなかったために、たいていは「なぁ」とか「オッサン」とかで通していたことを思い出した。

「オッサン、その猫みたいな呼び方は嫌だって前にも言ったと思うんだけど。つーか笑いすぎだろ」
「ん? ハハッ、いいじゃねぇか、呼びやすいし可愛いだろ? ――さて、と。タマちゃんがきたってことはもう十一時か。っし、皆! 一人アルバイトを紹介するから集まってくれ! 撤去作業中だけ手伝いに入るサイタマだ、よろしく頼む!」
「えっ、あ、えっと、よろしく」

呼び方への拒絶が通じないことに再度反発しようとしたサイタマだったが、急に始まった自身の紹介により流され、集まった他の作業員――といっても他には二人しかいないが――中年の男達相手に軽く会釈をする。それに対して愛想笑いをするでもなく、よろしく、と一言だけを返して各々の持ち場に戻っていく後ろ姿を見て、まぁ現場の人間ならこんなものだよな、と思いながら先の男へと向き直る。

「で、オッサン、俺は何をすれば?」
「ひとまずは”ガラ出し”だな。軍手は持ってきたか?」
「あぁ、ある。ガラ出しね、了解」

サイタマはポケットから出した軍手を装着し、ヘルメットをかぶり、ガラ出し――大きな瓦礫はショベルカーで、細かい瓦礫は人力で撤去する作業――専門用語の意味する行為を反芻しながら、ショベルカーが作った瓦礫の山へと向かう。先程挨拶した作業員の一人がガラをガラ袋に入れている横で立ち止まり、一際大きなものを両手に持った。

「おいっ、それは無……理……?」

人力では持ち上げられない大きさのものをサイタマが易々と抱え上げたのを見て、男は目を見張った。
ガタイが大きいわけでもない、むしろ建設業界の基準でいえば細くも見える男のどこにこんな重量物を持ち上げる力があるのか。そんな疑問が生じると同時に、同じ男として、人間として、その力強さには自然と感嘆の言葉が続く。

「お前スゲーな……」
「ん? あぁ、こういうのは俺が片付けるからさ、オッサンは軽いものから運んでくれよ」
「えっ、こういうの、っておい、いくら腕っ節強くても腰やっちまうぞ!」
「はは、大丈夫だよ」

男の心配の声にサイタマはへらりと笑い、さも何でも無いといった風に路肩のダンプカーまで歩くと、荷台に飛び乗って運んだ瓦礫を積む。投げ捨てられれば楽だがダンプカーがへこんでしまうので、あくまでも優しく。そうしてまた解体作業場まで戻っては、本来ならばショベルカーで運ぶ大きさの瓦礫をむんずと掴み、抱え上げ、またトラックに積む。

一連の動作には重量相応の身体的負荷が感じられず、いたって普段通りに歩くサイタマの姿に、同じ作業を担当する男は思わず手を止めてその光景を凝視してしまう。もしかして何かしらの魔法がかかっていて物凄く軽くなっているのではないか、と年齢にそぐわぬファンタジーな妄想をして瓦礫に手をかけてみるが、やはりと言うか当然と言うか、ちゃんと重い。それを平然と運ぶサイタマを再び凝視してしまう。

「何?」
「えっ、あ、あぁ別に何も……」

遠慮なく刺さる視線にサイタマが何か用かと問うのに首を振って答え、男はもう一人の作業員とともに、「アイツ、スゲーな」と離しながらガラの搬出作業に集中することにした。
他方、ショベルカーの操作をしていたサイタマと旧知の仲の男は、自身の業務に集中していたために他二人から遅れてその異様な光景に気付く。

「ん……? んんっ!?」

十二月に入ってからは突貫工事続きだったため、疲れすぎてついに幻覚が見えるようになってしまったのか、と驚いてショベルカーの操作を一度止め、目をぎゅっとつぶってから、ばっと大きく見開く。変わらない視界に頬を引っ張ってもみる。しかし男の目に映るサイタマの動きに変化はなく、現実なのか、と頭で理解すると同時に運転席から飛び出した。

「タマちゃん!? ちょっ、えっ、そんな無理しなくていいぞ!?」

男の記憶の中のサイタマは、どこにでもいそうな青年だった。見た目も普通、力も普通、業務を覚えるスピードも業務量も普通。ヒーローになりたいという子どもじみた夢は当時よく理解できなかったが、そのために毎日筋トレをしているだとかで、現場で会うごとに力強く逞しく成長していることを感じる若者の姿には好感を抱いていた。
しかしその強さは、「筋トレで強くなった」というものであり、今目にしているような常人離れしたものではない。ゆえに、久しぶりのアルバイトだからか何か無理をしているのではないか、と思ったのであった。

「え、別に無理なんかしてねーけど?」

しかし当のサイタマは男の心配などつゆ知らず、あっけらかんと答え、数十キロはある大きなガラを抱えて解体作業場とダンプカーとを行き来する。

「いや、え、えぇ……? 本当に大丈夫なのか……?」

サイタマの動きにあわせて顔を右に向け、左に向け、とする男には、未だに目の前の状況が信じられず、ただただ困惑するしかない。
その間、ショベルカーによる取り壊しが進まず、自身が搬出する荷物が減る一方なことにサイタマは溜息を吐いて男へと近寄った。

「オッサン。俺は何も問題ないから作業に――」
「いやそうは言っても、えぇっ、お前のどこに一体そんな力が……?」

当人の許可を得ることなく、男はサイタマの両肩、上腕、前腕、腹、身をかがめて太ももを、両手で鷲掴みながら筋肉の量や硬さを確かめていく。が、あまりにも普通な肉付きで、何か機械が仕込まれている様子もないことに混乱は増し、「えぇ?」と声が出てしまう。

「はぁ。あのさ、俺のことなら大丈夫だから。今はプロヒーローとして、自分よりも何倍もデケェ怪人と戦ってんだ。こんなの朝飯前だし、なんだったらそれも壊せるぞ?」

そう言うなりサイタマはショベルカー近くまで歩き、非常にゆっくりとした動きで――ドアをノックするときのような軽い調子で――取り壊し途中の壁を拳で叩いた。直後、サイタマの拳の位置から四方八方に亀裂が走り、大きな音を立てて崩れ落ちる。

「な? ――あ、これ俺が殴った方が崩すの早いんじゃね?」

力を込めて殴ってしまうと、崩すどころか吹き飛ばして惨事を引き起こしかねない。己の力量をよく理解しているサイタマは、壁沿いに歩きながら”軽く叩く”程度の力加減で残りの壁面を瓦解させていく。

「は……はは、マジかよ、お前スゲーな。ヒーローって皆そんなもんなのか?」

もし男達が普段から新聞やニュースを見ていたならば、サイタマの異常な強さを理解したことだろう。
しかし世間の話題には興味を持たず、パチンコや競馬の情報ばかりを拾い集めている彼らには、ヒーローの強さの基準がわからない。わからないが、本人の言うとおり身体には何ら負担が生じていない様子であることと、予定していた仕事が大分早く片付きそうだということは、つい先程までかろうじて建物の形を成していた瓦礫の山を見てわかった。

「おし、じゃぁ――積むか!」

理解が出来ずともサイタマの力強さは現実の物であり、今この場にあっては非常に利用価値が高い。
この分ならば彼の力を借りることで他の現場の過密スケジュールもなんとかなるかもしれない。
そう考えて目先の仕事に集中することにして男は再びショベルカーに乗り込んだ。

大きなガラはショベルカーとサイタマが運び、小さなガラは作業員二人がガラ袋に入れ、袋が満タンになると、本来はショベルカーで運ぶ物であるがこれもサイタマがダンプカーへと運んで荷台に中身を捨てる。
ダンプカーの積載量がある程度埋まると、作業員が荷台に上がり、より多く積むために大きなガラをハンマーで打ち砕いていく。
それを見たサイタマが「なんかそっちの方が楽しそうだな」と言って荷台に上がり、板チョコを二つに割る時と同じ要領でコンクリートを粉砕していく。あまりのことにポカンと口を開けて、ハンマーを手にしたまま固まる作業員。

ダンプカーに積めるだけ積むと一度それを別の場所へと捨てに行き、空になった荷台に再びガラを積み込んでいく。

残すは基礎部分のみとなると、ガス管や水道管を傷つけないよう、完全人力での撤去作業に移行する。
コンクリートをハンマーで打ち砕き、配管に気を配りながらシャベルで掘り起こす、非常に単純な重労働。

重労働であるゆえに時間のかかる作業も、サイタマの力の前ではコンクリートも土壁に等しく、容易に崩れていった。ほんの数分で運び出せる大きさまで砕かれたガラを全員で手分けしてダンプカーへと積み込め終えれば、そこはもう更地と化していた。

本来、この人数ならば丸四日はかかる作業量が数時間で終わり、サイタマとは今日が初対面だった男達も親しみを込めて「タマちゃん」と呼ぶようになり、そう呼ばれるたびにサイタマは酷く嫌そうな表情を浮かべた。

「いやー、こうも早く終わるとは!」
「こういう場合どうなんの? もう今日の勤務は終了ってこと? 帰っていい?」
「あー、俺もそうしたいんだが、さっき社長に『サイタマが凄い』って動画付きで連絡したらさぁ、もし早くこの現場終わるなら全員でもう一カ所ヘルプで行ってくれ、って言われちゃって」
「えぇっ、マジかよー」

たった数時間の手伝いで一万円を貰えるのでは、と期待したサイタマだったが、早く終えたら終えたで次の仕事が入ることに肩を落とした。
「ほら、乗って」と催促されるままにダンプカーの助手席に乗車し、車中はヒーロー活動について聞かれることに答えながら次の現場へと移動する。
先程よりも大きな現場へと到着すると同様の解体作業が行われているところだったため、サイタマは同じように力を振るい、同じように他の作業員から凝視を受けた。そろそろこっちの現場も片付きそうだな、とサイタマが思っていた矢先で、本日の勤務時間終了の声がかけられる。

「おつかれさん。今日は助かったよ、タマちゃんのおかげで作業の遅れが随分巻き返すことが出来た。はいこれ、今日の給料な。念のため金額確認してくれ」
「お疲れ様ッス。――あれ、一万五千円入ってる」
「うん、社長が『よく働いてくれたからボーナス』だって」
「マジ!? っしゃあ!」

一日あたり一万五千円が貰えて、それが七日間ともなると、たった一週間で十万円も稼ぐことが出来る。
ひょっとしてこの業界に転職した方が稼げるのでは、と頭に浮かんだ雑念を、いや金のためにヒーローしているんじゃねぇし、と振り払い、サイタマは「家まで車で送る」という申し出を断って、胸ポケットに折り入れた茶封筒のあたたかさを実感しながら帰路についた。

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